いやいやえん

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悪魔の陽の下に

【概略】
北フランス、カンパーニュ。田舎司祭ドニサン神父は厳しい修行によって神への信頼を求めるが、意に反し悪魔と出会い、人の心を見透かす力を得てしまう。ドニサンは、不実な恋人を殺して絶望にくれる16歳の少女を救おうと懸命になるが…。
サスペンス


.5★★★☆☆
神の啓示か悪魔の罠か、神父は永遠の命を捧げ、奇跡に挑む…。
北フランス、カンパーニュ。この教区の助任司祭ドニサン(ジェラール・ドパルデュー)は、己の内なる葛藤に悩む神父。主任司祭はそんな彼に心痛めていた。
一方、少女ムシェットは公爵と関係をもち妊娠していた。しかし彼女は銃を持ち発作的に公爵を射殺してしまう。ムシェットは、地元の名士の医師を訪れて罪を告白するが、医師は聞き流そうとする…彼もまたムシェットと肉体関係を持っていたのだ。自らの保身を考え、彼女の心の叫びを信じようとはしなかったのだ。

冒頭から二人の神父が葛藤について話をしている。フランスらしい観念的な抑揚のある言葉使いで散漫に感じる会話。特に少女ムシェットの言葉は、何を言いたいのかフラフラと空を飛んでいるかのよう。結局のところ彼女の真意は掴めぬまま、見ている側は彼女の叫びだけを信じるしかない。
ある時使いを頼まれたドニサンは彼を誘惑しようとする悪魔と出会う。悪魔の誘惑を退けた彼は、自らに神秘的な力が宿ったのを感じる。力を受け入れたドニサンは、人の心が透けて見えるようになっていた。

明け方、導かれるようにドニサンはムシェットと出会い、彼女の罪を理解した。しかし少女は絶望に負け、自らの命を絶ってしまう…。
信仰への揺らぎと、男達に弄ばれる少女の孤独。それは心の隙間にそっと入り込んでくる「絶望」という名の悪魔。誰にでもある心の揺らぎ、それ自身が悪魔なのかもしれない。タイトルが意味深ですよね。「悪魔の陽」とはどういうことなのでしょうか。

終盤には彼は内なる声に耳を傾け、十字架をベッドにおき、「神でも悪魔でもいい」と死んだ少年の生還を願うのです。その願いは叶い、「神よ私を見捨てないでください」「悪魔め、自ら絶望には堕ちないぞ」と祈るものの、命の代償にはやはり命なのか…主任司祭が彼の元を訪ねた時、懺悔室の中で息を引き取ったドニサンをみつけるのだった。

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